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東北応援ライブツアーレポート3日目~第5弾 伊里前福幸商店街~

  • 2012.08.16更新

8月16日(水)

6時30分起床、7時朝食、8時出発。

ほとんどの生徒が亡くなったと言う大川小学校へ向かう。
大川小学校を襲った津波に悲劇・石巻(一般の方が作られたサイト)

海からはとても遠いのに、海から続く川とずっと広がる平野に津波は押し寄せたという。

ホテルから大川小に行くまでにいくつかの村があったけれど、壊滅したそうだ。

家の基礎が残るだけで今はもう雑草が生い茂っていた。
遠く木の色が変わっているのは塩害
鉄筋だけ残るも、押しつぶされて元の形はわからない
助けとなるはずの消防自動車も

大川小学校は川と山に挟まれたところで、全校生徒がグラウンドに集まっている時に津波に流されてしまったらしい。数人は山に逃げて助かったものの、ほとんどの先生、児童が波にさらわれたという。
大川小学校
立ち入り禁止になっている
無惨な姿

ここで今回東北ツアーをするにあたってたくさんの人々と繋げてくださったJEBDA(新興事業創出機構)の鷹野さんがホテルに来られたとの連絡が入り一度戻る。優しく芯を感じる方。ロビーにて少しお話をさせていただく。

ライブ先となる南三陸にある歌津町へ移動。

伊里前(いさとまえ)福幸(ふっこう:復興)商店街というところでライブをさせていただくのだ。

ライブ許可をくださった(株)マルアラという水産加工品を扱う及川社長にまずはご挨拶。

すると親戚のおじちゃんもやって来てくれた!ついに!相変わらず屈託のない笑顔。ほっとする。

「家はあそこだったんだよ」と更地&雑草を指差してくれる。


くまちゃんも私も、大学生の時の旅でこのおじちゃんの家でお世話になっている。

くまちゃんは1万円だけを持って原チャリで野宿をしながら北海道に向かう途中に立寄り、おじちゃんに野宿をしていると言ったら「古いけど持って行け」と寝袋を提供してもらい、それで北海道一周を達成することができたそうだ。

私は大学一年生の時に友達と「北へ行こう」というおおざっぱすぎる無計画さでお邪魔し、一泊させていただいた上にお小遣いまで頂いてしまうという、今思えば恥ずかしいくらいに無邪気なお世話のなり方をした。

あのとき、おじちゃんが「自分の家だと思ってゆっくりするんだよ」と言ってくれたのを、今もはっきり覚えている。

くまちゃん人形劇

くまちゃんの人形劇が始まるとおばちゃんも娘さんも、息子さんのお子さんもみんな来てくれた。

おばちゃんは私のことを忘れていたみたいだけど、大学の時に友達と泊まりにいったんだよ、と言うと「そうだった!」と思い出してくれた。「前谷地(まえやち)駅まで迎えにいったんだよね!」と。

あの時の旅の帰りは歌津駅から大阪へと戻ったのだが、今はその線路は地震と津波でぐちゃぐちゃになって稼働していない。


くまちゃん人形劇のあとは、いよいよツアー最後となる一途ライブ。

セットリストはこちら。
1.Welfare〜ふれあって つながって 輪になって〜
2.カンテラ
3.ぼくのゆめ
4.Thanks t the World
5.Grow Up
6.宝探し
7.君の明日へ

【ライブの様子はUSTREAM動画にてご覧いただけます】

観客数は少なかったものの、みんなが笑顔で歌を真剣に聞いてくださった。
撤収中、CDを買いに来てくださったり、うちの小学校でもやって〜と誘いに来てくださったり、ほんわかするようなコミュニケーションタイム。

お世話になった方々とも記念撮影。
商店街の前にて

そしてホテルに戻るときに見つけたこの巨大なメッセージ。
全世界のみなさんありがとう

「全世界のみなさんありがとう」という文字と、その下には折り紙で作られた折り鶴が虹を作っている。

よく見ればその鶴には応援メッセージが。
「からだを大切にしてください」

その場所にも津波は来ていて、足元には割れたお茶碗や、粉々になっている屋根の瓦、ガラスの破片などがあった。

これだけ傷を負っても、「ありがとう」という心に涙があふれる。

温泉で汗を流した後は
南三陸さんさん商店街という復興お仮設商店街に移動し、Oさんのお勧めのお店である、季節料理「志のや」さんへ。

美味しい海の幸をめいっぱい堪能。

聞く所によるとこのあたりは、ウニ、牡蠣、イクラ、ホヤなどなど、たくさん採れるそうで、今時期の旬はウニとのこと。

塩を少しふりかけて食べるという初めての食ベ方に一同盛り上がりつつ、新鮮な海の幸をいただけること、ここまでの工程に携わってくださった方々に感謝していただく。


 O社長の被災体験を聞く。

歌津は支援に入ってもらうのに時間がかかる場所にあったため、最初に支援物資を持って来てくれたのはアメリカ軍だったそうだ。

電気がくるのに4ヶ月、水道が通るのに6ヶ月かかったそうで、その間は泥水を飲んだり、鶏を締めて食べたりしたそうだ。

電気が通った時は、家族全員で大拍手で喜び合い、水道が通った時にやっとお風呂に入れたけど、3日間は湯船に垢が浮き続けたらしい。

またOさんは片付けをする際、5~6人の遺体を担いだそうだ。


 親戚のおじちゃんも、いつもは津波警報があっても逃げることはしなかったけれど、6メートルの津波が来ているという放送を聞き、逃げる準備をしたという。

リュックに必要なものをつめたが、チャックがかんでしまって閉まらない。

即あきらめて外に出る時には10メートルの津波が来ているという放送に変わっており、山に向かっておばちゃんと走り始めたが、津波に乗って無人の船が勢い良く空を飛んだのを見て「今回はダメかもしれない」と思ったらしい。

おじちゃんは前に近所のおばちゃんを押上げ、後ろにおばちゃんの手を引き逃げたけど、ついにおばちゃんは波に腰まで浸かってしまい身動きがとれなくなる。

どうにも引き抜けず、おじちゃんは山の斜面に体を付けることで体の摩擦面を多くしておばちゃんを引きずり上げることに成功。

おばちゃんのいとこや実家も流されてしまったけれど、なんとか助かることができたとのこと。


 おばちゃんは逃げる時に足のつめが剥がれたけれど、痛いからといって足を止めることもできず、とにかく必死に山に登ったそう。

おばちゃんは今はお風呂すらも怖く感じるようになっていると話していたけれど、それでも笑顔でいるところが、生きる覚悟というか強さのようなものを感じた。

必ず福井にも遊びに来てね、と約束をし、握手をして別れる。

東北応援ライブツアーレポート~帰福~に続く

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